物体には固有振動数というものがあります。大きな鐘は低い音を出すし、小さい鐘は高い音を出す。自分の大きさ以上に低い音は出せないわけです。
これと同様に、切れる短文の書き手が長文で冴えた文章が書けるかというとそうでもないし、優れた長編の書き手が短編でも同じようにいい文章を書くかというと、これまたそうでもないように思います。
短い文章で切れ味のいい人は、それをたくさん並べていくことで長編が書けそうですが、そこはどうしても繋がりに無理が出ることが多く、せいぜい2,3並べるのが限界なのではないかと。5つも6つも並べると、全体としては面白い文章になりづらい。逆に長編作家は、短い文章だと切れ味が出しにくい。
私の場合は、ひとまとまりの文章がだいたい80ページから120ページなので、これを2つか3つ並べると、ちょうど一冊の単行本に収まります。しかし、短文では言いたいことが伝えきれないので、ストレスがたまってしまいます。どちらかといえば、長文の方が楽です。
でも、文章のうまい下手で言えば、優れた短編の書き手の方が上のように思います。短編ではちょっとした技術の不足が致命的なので、結果的にうまい書き手しか残らないのではないかと。一方、長編は、個々の文章のうまさというより、今度は長い文章を「読ませる」だけの技術と、長編を書き切る体力が必要かもしれません。
文章にも、固有振動数と類似の「固有文章長」とでもいうべきものがあるのではないでしょうか。今後、「○○さんはいつも話が長いなぁ」などと感じることがあったら、「固有文章長だからね」と納得したいと思います。
これと同様に、切れる短文の書き手が長文で冴えた文章が書けるかというとそうでもないし、優れた長編の書き手が短編でも同じようにいい文章を書くかというと、これまたそうでもないように思います。
短い文章で切れ味のいい人は、それをたくさん並べていくことで長編が書けそうですが、そこはどうしても繋がりに無理が出ることが多く、せいぜい2,3並べるのが限界なのではないかと。5つも6つも並べると、全体としては面白い文章になりづらい。逆に長編作家は、短い文章だと切れ味が出しにくい。
私の場合は、ひとまとまりの文章がだいたい80ページから120ページなので、これを2つか3つ並べると、ちょうど一冊の単行本に収まります。しかし、短文では言いたいことが伝えきれないので、ストレスがたまってしまいます。どちらかといえば、長文の方が楽です。
でも、文章のうまい下手で言えば、優れた短編の書き手の方が上のように思います。短編ではちょっとした技術の不足が致命的なので、結果的にうまい書き手しか残らないのではないかと。一方、長編は、個々の文章のうまさというより、今度は長い文章を「読ませる」だけの技術と、長編を書き切る体力が必要かもしれません。
文章にも、固有振動数と類似の「固有文章長」とでもいうべきものがあるのではないでしょうか。今後、「○○さんはいつも話が長いなぁ」などと感じることがあったら、「固有文章長だからね」と納得したいと思います。
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