2011-02-24

マハラジャの午餐

先日、チェンナイシティセンターにできたマクドナルドで、マハラジャマックを食べた。どのへんがマハラジャなのか。マハラジャはこんなもの食べないと思うが。



さて、教師なので、いろいろな人たちから、教育に関するご意見を賜ることがある。代表的なものは以下のとおり。

(A) もっと実用的な数学教育をお願いしたい

(B) もっと数学史、科学史の教育を

(C) 小学生、中学生、高校生にもっと統計教育を

(A)について言いたいことはすべて、拙著『食える数学』に書かせていただいた。私の立場は、高校までの数学教育を変にいじる必要はないが、実用性についてはもっと時間をかけて説明するべきだ、ということである。今のカリキュラムは現実と切り離されすぎだという持論は、ここ10年以上変わっていない。

(B)は、実はかなり昔から言われていることで、今もちょくちょく耳にする。もしかすると、アンドレ・ヴェイユが「数学研究に歴史的視点を」というようなことを言ったのが、どこかで伝わっているのかもしれないが。

私は、これには反対である。いや、数学史が嫌いなわけではない。高木貞治『近世数学史談 (岩波文庫)』なんて抜群に面白かった。知っていたほうがよい、というのはもちろんその通りである。しかし、他の科目の時間を削ってまでやる必要はないのではなかろうか。なんでもやった方がいい、という方向で教育を改革すると、やるべきことが無限に増えてしまう。優先順位をつけざるをえない。

例えば、代数方程式の解の公式をめぐるカルダノとタルタリアの間のいざこざ(wikipedia参照)を知ることはもちろん有意義だが、それよりは3次方程式、4次方程式の解の公式の考え方を理解することの方が圧倒的に重要である。少なくとも数学的には。
これも『食える数学』に書いたが、数学者の伝記のようなものは好きな人が勝手に読めばよく、学校で講義して試験で点を付ける、というのは、一部の人(将来、数学史、科学史を専門に勉強する人など)を除いて不要であろう。興味を惹くためのおハナシというのならいいと思うが、それで興味を持たれるのは変人数学者だけではないだろうか。

それより数学そのものをやりましょう。「コーシーの積分定理」という名前やコーシーの人生について知っているが中身は知らないという人よりも、「ええと、あのくるっと回って積分すると0になるって定理」というように内容を覚えている人の方が偉い。

もちろん、数学史、科学史が重要でない、というわけではない。特に試行錯誤のプロセスは参考になるかもしれない。

しかし、試行錯誤のプロセスを理解するのは、実は大変に難しい。

例えば、多様体(manifold)という概念が生まれるプロセスは、単純とは言い難い(その片鱗は、ヘルマン・ワイルの『リーマン面』などにある)。しかし、既に固まった定義を理解することは、それよりはずっと易しい(それでも多くの学生が挫折するのだが)。少なくとも多様体に関する数学の本体がスタートするのは定義の後であって、その成立の歴史ではない。これがいいことかどうかは別にして、歴史までたどっている時間的余裕はほとんどないだろう。

実のところ、有能な数学者、科学者が数学史、科学史にも造詣が深いことは稀である。実際、歴史も昔の数学者、科学者の名前も知らずに偉大な定理を証明したり、偉大な科学的発見をする研究者は大勢いる。
ちなみに、私の専門の一つはシュレディンガー方程式で、量子力学の基礎方程式だが、同じ領域の専門家でシュレディンガーがどんな人か知っている人はほとんどいない。量子力学の歴史はなかなか面白いが、これはごく普通に量子力学を勉強した「後で」勉強したのであって、先に歴史を学んだわけではない。たぶん、歴史を先にやったら、量子力学の中身を理解するのはかえって難しくなっただろう。

というわけで、どうも歴史教育が有効だという気がしないのである。

(C)について書こうと思ったが、長くなってしまったのでまたの機会に。そもそも、小学生から高校生までを私が教えることはないのだけれど。


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