東大に入っただけで終わる人たちまぐれで入ってついていけない「東大までの人」と「東大からの人」第2弾 vol.2という記事を読んだ。
ここではどうもメジャーリーガー(灘、開成、筑駒など)のポジティブな面だけが掲載されていて、地方の地元名門校のネガティブな面だけが書かれている。ちょっとミスリーディングな気がする。
地方の地元名門校から東大に進学してちゃんと数学者(に限らない。学者一般。知人は数学者が多いけど)になっている人、大手企業でバリバリやっている人(知人はエンジニアが多い)も大勢知っている。なので、別に出身で引け目を感じる必要はないし、ここに書いてある通りになると決まったわけではない。そういう例がある、というだけのことだ。気にしすぎてはいけない。
だが、40年以上生きてきて、統計的にはともかく、実感として、大学や企業を選ぶ際に、
あんまり無理すんな
というのはあるな、と思う。
何度か本に書いたことだが、私は、靴職人の息子だ。高度成長がなかったら、私は高校に進学することさえかなわなかったかもしれない。多くの良い偶然が私を助けた。幸運だった。もうほとんどマンガみたいな偶然が重なって今の私がいる。
だが、はっきりわかったのは、
難しい仕事をこなすには、なんらかのギフトがいる
ということだ。努力だけではどうにもならないところがどうしてもある。それは、遺伝かもしれないし、環境かもしれない。
例えば、プログラミング。何万行にもなるコードを嬉々として書き、それまでには不可能だったことを可能にしてしまう人がいる。これは一種のギフトである。天が彼/彼女に与えたギフトなのだ。
プログラミングほどはっきりしてはいないかもしれないが、数学もかなり才能を必要とする。多分、いくら努力しても超えられない一線というものがある。あるフランス人数学者は、ある高名な数学者の講演のタイトルを聞いただけで、「それは、こうやって証明するのだろう。ポイントは、XXとYY。」と指摘したという。講演者は絶句する他ない。この水準に努力だけで到達することは不可能だと思う。
例が学者とエンジニアに偏るが、人文系でもそうだ。人文系の学者(日本人)には、4ヶ国語、5ヶ国語を自由に操る人がいるが、それは単に語学が好きだ、という水準ではない。おそらくは環境も素質も揃っていたのだろう。彼/彼女にはギフトがあるのだ。そうでなければ、例えば、比較文学のような研究はできないだろう。
勉強が得意な人は、実際のところ、勉強するのが楽しくて気持ちも楽なのだ。プログラミングが得意な人も同じ。彼らが必死の努力で勉強したりプログラミングしていると思ったら大間違いだ。ときに慰めでさえあるのだ。本人は苦労しているというかもしれないが真に受けてはいけない。ギフトのない人が、無理してそんな集団に入ってもしょうがない、と私は思う。
かつて、シモーヌ・ヴェイユ(天才数学者アンドレ・ヴェイユの妹で哲学者)は、
天分(ジェニー)とは、暗い夜を乗り越える能力以外の何者でもない
と言ったという(うろ覚えなので間違っているかもしれないが、趣旨は同じ)。兄アンドレの天才ぶり(それがいかに凄まじいかは、日本人初のフィールズ賞受賞者小平邦彦の自伝に詳しい)を目の当たりにした繊細な心を持つ妹がどんな暗い夜を過ごしたか、私には知る由もない。しかし、結果的にシモーヌが死を選んだことは、(兄が直接の原因ではないにせよ)その葛藤がいかに大きかったかを物語っているように思う。
優れた人、並外れた個性を持つ人ばかり見ていてはいけない。彼らは眩しすぎるから。
彼らの光で自分の影がよりくっきりと浮かび上がってしまうから。
光り輝いていなくとも、大事な仕事はいっぱいある。
そして、これが重要なことだが、
彼らだけがホームランを打つわけじゃない
ということも。めげずに意味のある仕事を続けていれば、ギフトを持つ者たちをうならせるチャンスはきっとある。私は、そう信じている。
ここではどうもメジャーリーガー(灘、開成、筑駒など)のポジティブな面だけが掲載されていて、地方の地元名門校のネガティブな面だけが書かれている。ちょっとミスリーディングな気がする。
地方の地元名門校から東大に進学してちゃんと数学者(に限らない。学者一般。知人は数学者が多いけど)になっている人、大手企業でバリバリやっている人(知人はエンジニアが多い)も大勢知っている。なので、別に出身で引け目を感じる必要はないし、ここに書いてある通りになると決まったわけではない。そういう例がある、というだけのことだ。気にしすぎてはいけない。
だが、40年以上生きてきて、統計的にはともかく、実感として、大学や企業を選ぶ際に、
あんまり無理すんな
というのはあるな、と思う。
何度か本に書いたことだが、私は、靴職人の息子だ。高度成長がなかったら、私は高校に進学することさえかなわなかったかもしれない。多くの良い偶然が私を助けた。幸運だった。もうほとんどマンガみたいな偶然が重なって今の私がいる。
だが、はっきりわかったのは、
難しい仕事をこなすには、なんらかのギフトがいる
ということだ。努力だけではどうにもならないところがどうしてもある。それは、遺伝かもしれないし、環境かもしれない。
例えば、プログラミング。何万行にもなるコードを嬉々として書き、それまでには不可能だったことを可能にしてしまう人がいる。これは一種のギフトである。天が彼/彼女に与えたギフトなのだ。
プログラミングほどはっきりしてはいないかもしれないが、数学もかなり才能を必要とする。多分、いくら努力しても超えられない一線というものがある。あるフランス人数学者は、ある高名な数学者の講演のタイトルを聞いただけで、「それは、こうやって証明するのだろう。ポイントは、XXとYY。」と指摘したという。講演者は絶句する他ない。この水準に努力だけで到達することは不可能だと思う。
例が学者とエンジニアに偏るが、人文系でもそうだ。人文系の学者(日本人)には、4ヶ国語、5ヶ国語を自由に操る人がいるが、それは単に語学が好きだ、という水準ではない。おそらくは環境も素質も揃っていたのだろう。彼/彼女にはギフトがあるのだ。そうでなければ、例えば、比較文学のような研究はできないだろう。
勉強が得意な人は、実際のところ、勉強するのが楽しくて気持ちも楽なのだ。プログラミングが得意な人も同じ。彼らが必死の努力で勉強したりプログラミングしていると思ったら大間違いだ。ときに慰めでさえあるのだ。本人は苦労しているというかもしれないが真に受けてはいけない。ギフトのない人が、無理してそんな集団に入ってもしょうがない、と私は思う。
かつて、シモーヌ・ヴェイユ(天才数学者アンドレ・ヴェイユの妹で哲学者)は、
天分(ジェニー)とは、暗い夜を乗り越える能力以外の何者でもない
と言ったという(うろ覚えなので間違っているかもしれないが、趣旨は同じ)。兄アンドレの天才ぶり(それがいかに凄まじいかは、日本人初のフィールズ賞受賞者小平邦彦の自伝に詳しい)を目の当たりにした繊細な心を持つ妹がどんな暗い夜を過ごしたか、私には知る由もない。しかし、結果的にシモーヌが死を選んだことは、(兄が直接の原因ではないにせよ)その葛藤がいかに大きかったかを物語っているように思う。
優れた人、並外れた個性を持つ人ばかり見ていてはいけない。彼らは眩しすぎるから。
彼らの光で自分の影がよりくっきりと浮かび上がってしまうから。
光り輝いていなくとも、大事な仕事はいっぱいある。
そして、これが重要なことだが、
彼らだけがホームランを打つわけじゃない
ということも。めげずに意味のある仕事を続けていれば、ギフトを持つ者たちをうならせるチャンスはきっとある。私は、そう信じている。
6 コメント:
光が強いということはそれだけ影が濃いというまるで自然界と同じような法則がここでも当てはまるのだなと思いました。
人間というものは、どうしても光だけにスポットを当ててしまいがちなのですが。
ただ才能とは、その影を影と感じないんだなーっとも感じました。
芥川賞を受賞した西村賢太氏のような人を見ると、ある種の才能というのは、なんらかの欠落というか不足というか、そうしたもののような気もします。光と影は表裏一体ということなのかもしれませんね。
マネジメントのセンスは鍛えてもさっぱりですね…。あれこそ天性だと思います。
週刊現代の元記事を読むと、お受験産業の煽りのように思えたのですが。
Gyaboさん、いらっしゃい。
部下を持つようになったのですか?
おめでとうございます。
マネジメントは難しいでしょうね。あれはプログラムとは違って人間の心を扱うものですから。経験的に言うと、重要なことは、「できない人もいる」ということと「ムリをさせないと伸びないが、させすぎると壊れる」という2点を忘れないことのような気がします。やるのは難しいですが。
匿名さん、いらっしゃいませ。
確かに受験産業の煽りの可能性はありますね。元記事はごく一部の事例を取り出して、地方出身者を不当に貶めているような気がしますが、続きがあるらしいので、そちらも読んでみないとフェアな判断はできませんが。
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