昨日,北海道新聞の電話取材.新指導要領について,改善ポイントと改悪ポイント,基本的な考え方についてコメントさせていただく.どちらかというと批判的だが,文科省が政治的に(?)苦しい状況なのも理解できる.新聞の紙幅は限られているので,私が話したことのうち,載りそうにないことをメモしておく.
今回の指導要領(高校)では,数学において「統計」がやけに重視されている.私は,これには異論がある.そもそも,統計は数学ではない.数式が出てくるから数学だという意見もあるが,誤解である.相関を考えさせることになっているが,そんなこと,社会の状況がよくわからない状態でやったら危険に決まっている.変量相互の関係を考える能力は数学と直接の関係はない.統計が数学なら,数学者は世の中の統計を正しく読むことができるはずだが,経験的に言ってそんなことは「全く」ない.データさえ与えられれば後は計算というわけではないからだ.そんなことをいうなら,(計量系の)社会学者の多くは数学者が肩代わりできることになるが,そんなことは全くない.統計は「大人の学問」である.数学ではない.
ちょっと個人的な思いもあって言ったのは,「総合学習的な科目では,大学の先生の力を借りてはどうですか」,ということ.私も出前講義であちこちの高校で話をさせていただく(いつもICカードセキュリティの話ばかりでスマヌ)のだが,これをもう少しまとめてやってみたらどうかな,と思う.単発で話を聞くだけじゃなくて,それをもうちょっと深めてみたらいいんじゃないかと.
総合学習的な学習の仕方,というのは個人的には好きなのだが,高校教員が皆そうした科目に適応できるというわけではない.教育実習にさえ行っていない大学教員が,高校生に「知識・技能の活用」ができるように指導するなんて難しいに決まっている(できる先生はもちろんいるけれど)のだが,きっかけづくりという意味では大学教員は結構役に立つのではないか.ただアラカルト式でたくさん話を聞いて,感想文を書いてそれっきりでは,きっかけづくりにもならない.実にもったいないことだと思う.
たとえば,その年(あるいは前年)のノーベル賞の話なんていうのも悪くない.今回のノーベル賞の,小林= 益川理論は普通に理解するのは難しいと思うけれど,素粒子の話は,よくわからなくても面白いものだ.電子はアップクォーク1個,ダウンクォーク2個, 陽子は逆にアップクォーク2個,ダウンクォーク1個でできている, なんて話でも結構面白いのではないかと思うがどうだろう.自発的対称性の破れ,という南部先生のアイデアも, 大学の物理の教師ならわかるはずだ.光るクラゲの研究も面白い.
数学の最先端は実感するのがひどく難しいので素材を工夫する必要 がある(これは物理学の比ではない.数学者でも,専門外の業績はよくわからない)けれど,大学の教員たる者, 1つや2つは面白い話を持っているのではないかと思う.
課題について教師は熟知していなくてもいい.こうした話を聞きながら, 子どもたちと一緒になってたくさん質問してみる.先生が一生懸命理解しようとしている姿を見て, 子どもたちも一緒になって楽しめると思う.
そして,これも大事なことだけれど, あんまりタイトに評価しないこと.何が残ったかをきびしく問うようなことをしてはいけない.試験のようなことをすると, せっかくの生き生きした素材を殺してしまうことになる.ここは,文部科学省の指導がうるさいところだから難しいだろうけれど.
数学の最先端は実感するのがひどく難しいので素材を工夫する必要
課題について教師は熟知していなくてもいい.こうした話を聞きながら,
そして,これも大事なことだけれど,
大学の教員というのは,なんだかんだ言って「教えたがり」だと思う.研究は好きだが教育は嫌い,という人でも,講義をすれば,それなりに面白いと思って欲しいな,という気持ちが出てくるし,もう一息で分かりそうだ,というときは,思わず「それはね,そうじゃなくてね,ホントはね」なんて言って教えずにはいられない人たちなのだ.研究一筋で学生のことなんか無視して話す先生だって,その「迫力」だけでも伝わったら大変なものだ.大学時代,選択公理(Zornの捕題と等価)を使わない証明に凝っていた先生がいて,ちっともテクストが進まなかった(おそらく大部分の学生はよくわからなかったのではないかと思う)思い出があるが,彼は本物だ,と私は思った.学生は,自分がその科目ができなくても,教員が本物かどうかは見抜いてしまう.「こいつ,ちょっと凄いぜ」と思わせるようなプロの研究者の話は,聞く者を奮い立たせる力を持っていると思う.
こういうとき,分かって欲しい,自分の知っていることを伝えたい,という気持ちは,結構純粋なのではないか.
その際,学生集めに奔走する大学では,つい「下心」が出てしまうかもしれない.進学してきて欲しいというあまり,宣伝ばっかりなんてことになったら,それは悲しいことだ.私だったら,下心が見えたらせっかく湧いた興味も失ってしまうに違いない.
教えたい,伝えたいという気持ち自体は純粋なのだ.下心なんてなしでいきましょうよ,皆さん.というのが私の気持ち.
私は,元サラリーマンなので,費用対効果で考えたくなる人の気持ちもわかる.結局何が返ってきたのかばかり考えるのはビジネスをやっている人の悲しい性だ.しかし,それをやってしまったらおしまいである.費用対効果でやった研究がそうたいしたことはないのと同じく,この原則に基づいた教育なんて実質的な意味はないのではないか.双方楽しんで初めて意味のあることができる.恋愛がそうであるように,教育だってそうなのではないか.
私は,もう41だ.天才バカボンのパパと同い年.もう面白くないことをしている暇なんてないのだ.
全然関係ないが,世代会計についての論文を2,3読む.面白く,深刻.日本は,後30年も経たないうちにデフォルト(債務不履行)するかもしれないと本気で思う.この問題は重要なのでいつか真剣に論じるつもり.