2008-11-05

日本を変えよう



オバマが勝ったことについて書こうかと思ったが,アメリカの状況がよく理解できていないので,またいずれ.

既に2度目だが,勝間さんの「日本を変えよう」を読み終えた.割に細かいことまで読んだ.(以下はこの本を読んで感じたことや考えたことを書いただけ(つまり感想文)であって,書評ではない.)

表紙は,まるで,選挙ポスターのようだ.勝間さん,政治に興味が出てきたのかな,という感じさえする.ついに勝間さんは,そういう生臭い世界に突入したのではないかと思った.

しかし,読後感はそういうものとは全く違うものだった.

勝間さんは,本気だ.私は,本気を買う.あれこれいう人はいても,実際に行動する人はほとんどいない.だが,本気で考える人と本気で行動する人は違う.彼女は両方である.

この本は,話題がやや拡散しているので,以下では,女性差別問題に話を限る.

実は,勝間さんと私はほぼ同世代である.私は一年浪人しているので,大学(慶応ではないが)に通っていた時期は全く同じだ.なので,この頃のことは実感としてよくわかる.学部時代の大半はバブル.卒業したのは1991年.東証の大発会で,株価がガクンと落ちた年だ.
思えば,この頃は,男女雇用機会均等法は既に施行されていたが,よく出来る女性でも,四年制大学に進学するより,短大に進学して一般職で大企業に入社し,社内恋愛を経て結婚退職,というのが女の花道とされていた.今では信じられない話だが,当時は,女性はクリスマスケーキだと言われていた.つまり,24,25まではよく売れる(結婚対象になる)が,それを過ぎるとぱったり売れなくなるという意味だ.おそるべき女性差別である.(蛇足だが,これを実感するには,OL進化論を1巻から通読するのが一番よい.)
私の同級生の女性のうち,高校の教員や公務員になった人を除くと,多くは,大企業に総合職として入社していた.しかし,その数年前には,総合職で入社するというのは僅かであり,優秀な人でも一般職で入社し,数年で退社を迫られるような状況だった.勝間さんは,11歳年上の優秀なお姉さんが,慶応の経済学部を卒業してもそうした待遇だったことを書いているが,これは,たまたまそうだったのではなく,実際そうだったのだと思う.

時代は変わった.

しかし,日本における女性の活用はお寒い限りだ.勝間さんは先進国における女性の地位の統計を出して,日本の女性の地位がいかに低いかを示す.その上で,女性は,二流市民扱いであり,それを認識した上で行動しなければならないというのである.

私は,拙著「学力低下は錯覚である」の中で,女性が工学部に来ないという話をちょっとだけ書いた.諸外国と比較して,どうみても日本女性の工学部進学率が低い.比較的少ないドイツ(約9%)と比較しても半分(約4.5%)しかない.これは,日本の女性が工学に向いていないということでは全くなく,そうさせない社会状況があるとしか考えられない(参考:カソウケン内田麻里香さんブログ記事).

一方で,女性の薬学部進学率が高いのは,「薬剤師」という資格が「持ち運びできる」からである.夫に連れ添って,現在の職場を離れたとき,その地域でも仕事が探せるからだ.「工学」の場合はそうはいかない.メーカーに総合職として入社しても一度退職したら別の地域で同じようにエンジニアとして活躍できる可能性は非常に低い.その意味で,「工学」は持ち運びできないのだ.女性は,そういう「損な」方向性をあえて選択しないだけなのである.勝間さんが公認会計士になったのも,モバイルな資格がなければ損をするだけだと知っていたからだ.

ここでは,少々持論を書こう.詳細は詰め切れていない.

日本の生産性は先進国の中では最低である.これには様々な要因があるが,私が考える理由の一つは,女性がうまく活用できていないということだ.

理由は簡単だ.女性でも男性でも,仕事がある程度以上にできる人の割合はほぼ決まっている.今,仮にそうした割合が上位10%だとしよう(この数字に根拠はない.説明のための数字).現在は少子化で,若い人の人数が減ってきている.当然,優秀な上位10%の男性の絶対数も減る.しかし,数の不足分を男性だけで埋め合わせようとすると,当然,優秀でない90%の上位者を割り当てるしかない.しかし,彼らは,最上位10%の男性ほど優秀ではないので,当然,全体としての生産性は落ちてしまう.

もう答えは明らかだろう.不足分は,有能な上位10%の女性を活用することで埋め合わせる方がよいだろうということだ.

問題は,勝間さんも書いているが,雇用に際して発生する女性への「統計的差別」である.この本を機会に,統計的差別の論文を読んでみた.Phelpsの1972年の論文の他,Stiglitz, Arrowの論文も斜め読みしたが,ちゃんと計算まで追ったのは,Edmund S.Phelps, The Statistical Theory of Racism and Sexism, American Economic Review Vol.62, No.4, (Sep.1972), pp.659-661だけだ.(計算は難しくないが,記号がやや混乱していて読みにくい.)この論文のタイトルにもなっているが,メインの内容は,人種差別(論文の中ではっきりとblackとあるので,黒人差別を指しているのだろう)であるが,理論の内容自体は,女性差別にも適用できる.

一言で言えば,女性差別は,経済合理性にかなう,という主張である.つまり,女性は長く働かない傾向があり,それは統計的に自明である.長く働く人もいるが,男性と比べて分散(ばらつき)が大きく,事前に,どれだけの期間働くかを推定できない(やろうとすれば,多大なコストがかかる).そこで,企業は,経済合理的に考えて,女性を雇用しなかったり,賃金を下げたりするということになる.

これは,言われてみれば当然だが,大変面白い考え方である.つまり,ある意味で,ここには,誰も悪い人がいないのだ(あえて言えば,男が悪いことになるが).フェルプスの考えは,女性に対する偏見を持つ人が一定割合いて,経済的に不合理でも女性を採用しなかったり,賃金を下げたりするというベッカーの仮説とは相容れないものである.つまり,合理的に考えた結果,そうなる.企業は,競争に勝つためにそうするだけだ.

この件に関しては,既に多くの研究がある.既にずいぶん長くなってきたので,割愛するが,論文をいくつか斜め読みしてみた限りでは,日本企業の女性差別は,経済的にも不合理になりつつあるようだ.この話をいつか勝間さんにもっと考えてもらいたい...なんて言っていないで自分で考えようと思う.

この問題を考えることは,大変興味深く,意義深く,そして難しい.

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